人を幸せにする会話と不幸せにする会話
やはりサ店でブログを書いている。
サ店は色々な人がいるから、行く価値があると思う。
公共の場で、他の人がどのような話題に興味を持っているか盗み聞くことができる。
それによって、自分の人生がより味わい深くなるね。うん。
一昔前に「趣味」の欄に何も書く事がないアイドルが「人間観察」と書いとけば、だいたいオッケーな時代があったと記憶している。
その時には吐き気をもようしながらそれを眺め、不遜な芸能界という仕組みを疎ましく思ったものだが、俺はサ店で同じ様な事をしている。
人間観察をバカにしてごめんなさい。
さて、タイトルにあった「会話」についてだ。
サ店では色々な人が語り合っているのだが、正直、あまり賢そうな会話が聞こえて来る事は無い。喋り方がアホな人があまりに多く、その話題にはツッコミどころ満載である事が多い。
みなさんは、サ店で話す事なんて高尚である必要はなく、気軽でアホな会話こそがサ店で駄弁る意味だと思うだろう。
私の言う「アホな会話」とは内容が高尚でないという事ではない。
私の認識では会話の中の愚痴の割合が80%を超えてくると「アホな会話をする人」と認識されてしまうという事が分かった。
「愚痴を言う人」の特徴として「自分は良い方法を知っているのに他人は悪い方法をとる。納得がいかない」という論調であると思う。
愚痴の出発点はいつでも自分が上位であることが前提だ。
「人通りの多いところで彼氏が『これ買っていい?』って騒ぎ出してん、ヤバない?」
この会話の中身は
「私は人通りの多い中で大騒ぎしてはいけない事を知っているが、私の彼氏はそれを知らなかった。私は私の彼氏を愚かしく思うし、理解ができない」という意味であると考える。
この指摘、この話題は一見普通の会話に見えるが、まったく無意味だ。
1、まずこの指摘は彼氏に言うべきで、友達に言う事ではない。
2、この指摘をする前提として自分が彼氏より世間体を良く見せる方法を習熟していなければならないが、サ店で大声でこの会話をしている人がどう考えてもその彼氏よりハイレベルな人と思えない。
3、会話の中の「ヤバい」の使い方がアホ丸出し。
4、この話題を貴方がするのは俺が席についてから4回目である。
うんざりだ。うんざりすぎる。
人はこの手の話題をしがちである。
自分が納得がいかなかった事、自分が良くないと思った事について愚痴を言う事で解決とする事が多すぎると思う。
そして、愚痴の割合が多い人は仕事ができない。
(私の思い込みを多分に含む結論です)
なぜ、愚痴を言う人は仕事ができないのだろうか?
それは、愚痴の中で自分の優位性を上げる事で、問題が解決したと錯覚し、
本当の問題を先送りにしてしまうからだと思う。
つまり、問題の解決能力が乏しい人ほど、愚痴を言ってしまうのだ。
先日サ店で見た老人たちが、世間に対して、政治に対しての愚痴をいう姿も彼らが世間に対しての能動的な解決策、解決対応を取れない年齢である事が原因なのだ。
悲しい事実だと思う。
だから、愚痴は人を幸せにしない、聞いた人の気分を胸糞わるくさせるし、
意味がない。そして友人や家族を遠ざけてしまうのだ。
私を含め人が愚痴を言う事をやめる事は難しいと思うが、せめて、
「○○という気に入らない事があったので、××しようと思うんだけど、どう思う?」
と言える人でありたい。
思う愚痴は多くても、言う愚痴は少なくありたいものだ。